フランス コサッド帽子フェスティバル 2000 掲載記事②

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「京都新聞」掲載記事
(2000/08/02付)

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フランス コサッド帽子フェスティバル 2000 掲載記事①

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-La depeche du midi-Tarn et Garonne:le samedi 22 juillet-

「日本がお祭りにやってきた」

平野紀子さんは、彼の息子、大さんを伴いコサッド、セッフォンの帽子フェスティバルに参加していた。
彼らの参加の事情はここでお話しするに値するだろう。
数年前から平野氏の息子はモードの都・パリにいる。それについては何も驚くことはない。というのは、彼の親愛なるパパは以前パリに住んでいて、日本でもモードの仕事に従事している彼は、息子に彼のパリ熱をうつしたからだ。


京都の帽子研究家

大さんはフランスに住み、一方パパは京都で妻と共にプロ養成のための帽子研究所を開いている。
そしてこのフェスティバルに参加していたのが彼の妻、平野紀子さんである。
参加の理由は実に簡単で、このコサッドのフェスティバルの広告を見た息子が、彼らにそのことを伝えたため彼らはそれに参加することを決めた。
ちなみに、平野紀子さんの作品は審査員特別賞を獲得した。麦藁帽子とこの地方独特の製作の仕方が、二人を我らが町にひきつけた。というのは、日本ではこの地方のようには帽子を製作しないと思われるからだ。
彼らのコサッド滞在は4日間で、彼らはこの間コサッドを十分堪能しただろう。
フェスティバルの参加を終えてパリへの出発の際、フェスティバルの実行委員長のカポエンさんが彼らを駅まで送っていき、彼らにコサッドの記念として、トゥーロン工場でつくられたケルシー地方の特産物を麦藁帽子に詰めたプレゼントを贈った。
彼らはここで別れたが、近いうちにコサッドに再び戻ってくることを約束した。


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コラム/レヴォア掲載記事

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○へそ

「へそで茶を沸かす」(おかしくてたまらないこと)、「へそが笑う」「へそが宿替えする」
「へそがくねる」とも言う。「へそくり」(倹約して内緒でため金)
「へそがくくるみ」(胴巻きなどに腹を結びつけること)「へそ黒」(気立ての悪いこと)
「へそ曲がり」(偏屈な人)「へそを固める」(基礎をしっかり固める)「へそを噛む」(後悔する)。
フランスにも「へそを眺める」という表現はあるが、後悔とは結びつかない。
へそを眺めるとは、自己中心的という意味である。
日本では、へその垢(あか)を取ると力が無くなるという言い伝えがある。
へその垢、またはへそのゴマという。子供の頃、
腹のへそを眺めそのゴマをほじくり、母親からゴマを取るとお腹が痛くなると叱られた。
たぶん、へそは過去の命の綱だから大事にしないといけないということだったのだろう。
へその緒を大事に桐箱に入れておいても、どこへしまったかいつのまにか忘れている。
へその緒を大事にとっておく風習は、すたれ気味である。へそをほぞとも言い、
「ほぞ」には男根の意味もある。
《パンツ、スカートはへそ下に!》
《シャツ、上着はへそ上に!》
透けたシースルーの重ね着から顔を出すへそ。
何の役にもたたないといわれていたへそ。この春夏は、オオモテ。




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○腕

腕に宿る力、腕力、腕に覚えがある、腕が鳴る
(腕をじっとしておけない)、腕に覚え(自信があること)、腕を
鳴らす(実力を示し名声を博する)。
腕がいい、腕利き、腕前、等は、職人の熟練度を言い表す時などに使われる。




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○パリの帽子職人たち

ココ・シャネルの始まりは帽子屋だった。
帽子職人は華やかなベルエポックの時代から1960年代まで花形
だったが、現在、フランスで帽子の木型を作っている職人も、帽子を
制作するシャプリエも数人になったと聞く。
LA FORME(75002 Paris) ロレンゾ・レ氏(木型職人)。
デザイナーやメゾンのクリエーターたちが描いたクロッキーから、
イメージどおりの帽子のスパートリー(うこぎ科の喬木を極細の平織にして片面に寒冷紗を
糊付けしたもの)を作るのは、奥さんのルシ。
それをもとにロレンゾ氏が木型を制作する。
ディオール97年春夏オートクチュールコレクション(ジョン・ガリアーノ)
では、ロレンゾ氏が木の帽子を制作した。
ECHAP'MODE CAHPEAUX(75001Paris) ジャンピエール・トリップ氏(シャプリエ)。
彼はフェルト帽体、夏帽体を型入れしたりブレードを専用のミシンで巻縫いして
帽子を作り出す。いくつものメゾンの依頼を精力的にこなしている。
また、積極的にスタージュ(見習い)を受け入れる。
帽子業界の明日を担う人材が育つことを望んでいるからだ。



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掲載記事

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「京都新聞」掲載記事
(1991/11/28付)
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1991_media_03.jpg 「京都新聞」掲載記事
(1991/01/07付)

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OPERA -緋色の夜を千年のかりそめ

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マリ・クレール 1991年5月号 掲載記事

1987年に北白川銀閣寺近くに設立されたクチュール&アトリエの場所を利用して Tokutaro HIRANO's expreme par la mode(平野徳太郎のモード表現・行為)の有機的な発想方法として、
オペラ OPERA-緋色の夜を千年のかりそめ-を上演しました。
舞台は一坪(二畳)の広さで、称して“一坪オペラ”。 
翻って思えば、ヨーロッパのオペラ劇場は雄大荘厳で、一つの“都市”のような機能さえ備えております。それに引き替え“一坪オペラ”とは何と微少なことでしょう。
しかし、これはお茶の世界にも共通する入れ子の世界、密度の高い空間に壺中天の如き拡がりを限りなくイメージさせてくれるかりそめの空間といえるのではないでしょうか。
確かにヨーロッパからもたらされたオペラではありますが、日本の浮世絵が印象派に影響を及ばしたように、やがては“一坪オペラが”がヨーロッパのオペラに刺激を与えることになるのではないかと密やかに夢想している次第です。

構成・演出 佐藤 信
出演 山口小夜子・新井 純
衣装 平野徳太郎






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