日仏雑誌「LES VOIX」No.100号/掲載記事

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1940年代から50年代にかけて、欧米のファッション界を風靡した、フランス人の帽子デザイナー、クロード・サン=シールは、帽子について次のように語っている。

「帽子は、眼差しと真の共犯関係にある。」

彼女が、ここで言いたかったのは、帽子を被る際の、「眼差し」が果たす役割の重要性である。
この「共犯関係」というのは、帽子が、それを被っている人の眼差しに、一種独特の、優雅さをもたらし、また、その人の眼差しで、帽子にあらたなる個性が与えられることによって、成立していく類いのものである。
また、同時に、この「眼差し」というのを、他者の視線として解釈することも可能である。

そして、その場合には、他者の視線が注がれる立場としての、かつ見られるものとしての帽子という観点から、身なりにおける帽子の重要性、および「見るもの」と「見られるもの」による「共犯関係」ということが示唆されることになる。

こうした「帽子と眼差しの共犯関係」は20世紀の半ばまで続くことになる。
事歳、こうした時代においては、帽子はマナーという点においても大変重要な意味を持っていた。

こうした、帽子の重要性というのは、その当時、『シャポー・モデル』や『シャポード・パリ』(写真)などに代表される、数多くの帽子専門誌が出版されていたことからもうかがえる。
しかし、60年代後半を境に、そうした状況は一変してゆく。

60年代後半は「カジュアル」/「ユニセックス」という傾向がモード界を席巻した時代であり、
それは同時に、いままでの古い伝統に縛られた服装の否定をも意味していた。
こうした風潮は、礼装のための必需品でもあった帽子にも、当然、多大な打撃を与え、美容調髪技術の発達が、さらに、それに追打ちをかけていくことになる。

そして優雅なる眼差しも、「共犯関係」にある帽子とともに、こうした時代の波にのみこまれていった。

平野 大